「道」

b0058500_1922589.jpg先日、ひさしぶりにフェリーニの「道」を観ました。

小説も読むたびに感慨が変わるといいます。映画もそうです。

ずいぶん前には感じとれなかった感慨に包まれました。

アンソニー・クイン演じる大男、ザンパノは、映画の解説では、粗野で獣のような欲望しか持ちあわせない男と称されています。

若いころは、まさしくそう感じていたのですが、今回は、そのような男に感じられませんでした。特に彼が変わった男というよりも、どのような男であろうと、男の奥にひそんでいる、男そのもののように感じられました。

わたしもひねたものだと思います。あんまり幸せではなかったのか、否か… 八十歳か九十歳になったとき、また観てみましょう。きっと違うように感じていることでしょうね。

「道」ができるまでの記録を読みました。

ジュリエット・マシーナのジェルソミーナが息吹くまでのプロセス。

ジェルソミーナのセリフはほとんどなく、あっても深い意味を持つものではないから、マシーナは動作に精根をこめ、変わった歩き方にこだわったそうです。

軽やかなのは足だけで、両肩はずっしりした重みに抑えつけられていて、それまでの人生を引きずって歩くような印象に。

また、フェリーニは口を閉じたまま笑うようにマシーナに指示しました。それは彼が子どものころのマシーナの写真を見て注目した表情なのだそうです。

ジェルソミーナが大男と別れてついてこうか、どうしようかと迷った男がいます。その男が大男に殴られ死んでしまったとわかった瞬間、ジェルソミーナは指先をあごにあてて口を半開きにするのですが、それはマシーナが十歳のときに見た、死んだ我が子を見る女の写真が下敷きになっているそうです。

そこで、たちどまってしまいました。これほどひとりの女のイメージを創りだそうと瞑想するに価するほどの本を、はたしてわたしたちは描こうとしているのかどうか? 

悪い本から悪い映画は生まれても、いい本から悪い映画は生まれない、とい!
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by nomelier | 2005-10-05 19:25 | Movie
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