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不幸の中の幸せ

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先日、知人に付き添い、大学病院へ行きました。

総合待ちあいには病に悩むたくさんの患者さんたちが。

私の知人も病の不安に襲われています。

医療関係者には当たり前の毎日の光景であっても、ひとりひとり、患者さんの不安はさまざまです。

知人いわく、テレビも見たくないと。

確かにテレビは健康な人のための番組が多すぎます。

それに、病人にとっては、悲惨すぎて目をそむけたくなる事件の報道ばかり。番組制作関係者にとっては、当たり前なのでしょうが。

さまざまな仕事の、さまざまな関係者が、自分の関係していることに勤勉で、あるときには自分のおかれたカテゴリーしか見えないといった姿勢は、辛い立場にいる人や、社会から閉ざされてしまいそうな人を、より窮地に追いやることのように思え、知人がテレビを見たくないといった言葉が、シナリオに携わっているわたしには、重く響きました。

友だちが、ご主人の経営するブティックがうまくいかなくなって、夜逃げのように関西を去ったときのことを語っていました。

誰から見ても不幸この上ない夜逃げなのに、車の中でご主人と今までの楽しかった思い出話を繰りかえし、ずっと笑えていたと。

人から見ると不幸極まる状況でも、愛する人となら、お互いの笑顔を取り戻したくなって、冗談が言いあえるものです。

不幸なときこそ、冗談が言いあえるあたたかい関係を宝物に感じて、感謝したくなるものです。

不幸など誰しも願いたくはないけれど、不幸の中の幸せと、幸せの中の見えない不幸があるとしたら、不幸の中の幸せの方が、輝いています。

町に出れば若い人のためのお店。
自由にお金が使える層を狙ったファッション。
団塊の世代向けの企画。
悠々自適のシルバー層向けの旅行案内。

当たり前のことなのですが、それだけでいいのでしょうか?

テレビが見たくないという知人には、ラジオをプレゼントしました。

今度逢ったら、笑顔になれる話をしたいと思っています。
by nomelier | 2006-09-14 19:45 | Diary
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