カテゴリ:Drama( 9 )

男と女

b0058500_1464821.jpg「男と女」という20枚シナリオの課題があります。

この課題では、男と女の間の感情を描く人よりも、男というものは云々、女というものは云々、とディスカッションドラマを描く人が多いようです。

感情を描くには、せっかくのうってつけの課題なのに、残念です。

でも、なぜでしょう?

ディスカッションドラマで「男と女」を描く作者は、若い男性が多いようです。

ドラマとして「男と女」を描こうにも、「男と女」の考え方の違いがわからないので、作者のなかにいる、あい反する疑問をもつふたりに討論させているのではないかな、と思います。

昔は、女から男をわかろうとしたことはあっても、男から女へはあまりなかったのではないでしょうか?

でも、いくら昔といえども、そうはいかないのが人間の本音。本音としての男が、女のわからない部分へ疑問を抱き、悩み、追及しようと思って、立ち進んだことにより、文学、映画等の名作が生まれたのではないでしょうか?

わからないから魅力的なのであって、わかると少しも面白くないのに、わかろうとする。

でも相手が自分をわかろうとすることの目的がなにであるのかが、これがまた厄介で、蓋がしめられたままの状態で買わなければならない、なかみの見えないお弁当のようなもの。

 ともすればかろきねたみのきざしくる
 日がなかなしくものなど縫はむ

岡本かの子のうたです。

ものを縫いながら、家を留守にしている夫のことを思いめぐらし妬いている気持ち。

このうたのあと、かの子さんは文学、詩歌へと旺盛にいどみ、奔放な女性になったのですが、はたして女として幸せなのかどうか?

今の女性なら、ものなど縫いながら、例えば、シナリオのこと、考えよっ!となるのでしょうが…
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by nomelier | 2007-01-10 14:08 | Drama

ニーナ

b0058500_13584273.jpg「わたしはもうほんものの女優で、楽しみながら、うっとりしながら芝居をして、舞台に立つと酔ったようになって、自分がすばらしいと感じるの。……日ましに精神力が成長していくと感じたりするわ。……わたしたちの仕事で大事なものは――舞台に立つにしろ、ものを書くにしろ同じことなのよ――名声でも栄光でも、わたしの夢みていたようなものでもなくて、忍耐力だということがねえ。おのれの十字架を荷うすべてを知り、そして信ぜよ。わたしは信じているわ。だからそう辛くもないし、自分の使命を思えば、人生がこわくないんだわ」

チエホフの「かもめ」のニーナのセリフ。

わたしたちにとって、瞼の奥が痛くなってくるのは、「舞台に立つにしろ、ものを書くにしろ同じことなのよ」の――「ものを書く」というフレーズです。

ウクライナの女医さんの、バレンティナというガールフレンドがいます。

彼女は長年、日本に住み、とても苦労されています。

でも、大地にしっかり根をおろした、本当に日本人にはない、ボルシチのようなあたたかみを感じさせる人です。

彼女の澄んだ美しい瞳から、このニーナのセリフを思い浮かべました。

先のセリフの前に、

「わたしなんか殺されたっていいのに。わたし、へとへとだわ!……わたしはかもめよ……。いいえ、そうじゃない。わたしは、女優だわ。……あの人は芝居というものを信じないで、いつもわたしの夢を笑っていたわ。で、わたしもだんだん信じられなくなって、気落ちしてしまったの……。そこへ恋の苦しみ、嫉妬、絶え間ない赤ん坊の心配……。わたしは取るに足らない人間になって、でたらめな演技をしたわ……」

と、ニーナは彷徨うように過去を語ります。

お芝居をする人の、ものを作る人の、孤独との戦い、決意を、彼女を愛してくれる男性への決別の言葉へと、物悲しく、つなげて……
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by nomelier | 2006-12-15 13:56 | Drama

勇気

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「これから世に出ようという人の作品からは、ちまちましているのじゃなくて、もっとびっくりするような創作意欲を感じたい」…。

ファッションのデザインコンクールでの、有名な審査員デザイナーの談。

とはいうものの、勇気あるシナリオとは?

ドラマの語源はギリシャ語の「行動」。
ニュアンスとしては、勇気、決断といった意味が含まれています。

主人公がクライマックスで勇気ある決断をくだすと、観客はカタルシスを感じます。

主人公の勇気に感動。ステキなシナリオですね?

でも、今は勇気が描きにくい時代なのではないでしょうか?

不登校、ひきこもり、ニート。勇気があるとはいえません。
もし勇気をもってそうしている若い人がいれば、勇気を称えたいのですが…。

勇気をもてば、出る杭になり、出た杭はうたれて、苛められて。

だから勇気はおさえなければならなくて、その抑圧がたまりにたまって、突如噴射するがごとく事件へ。

勇気は抑圧されていると危険です。だからドラマから、愛のある勇気を感じてもらいたい…。

やはり、作品からは作者の勇気が感じたいと思います。

どう評価されるか。

旨いといわれたい。
よく勉強しているね、といわれたい。
ものしりだね、といわれたい。
器用でかっこいいね、といわれたい。

そのような作品には感動できません。

作者の勇気を発見したい。でも、ちまちましていなくて、びっくりさせるような創作意欲とは、ともすればひとりよがりな自己陶酔になりがち。

でも敢えて、失敗すればいいのではないでしょうか?
失敗の数が、必ず作品のレベルをあげてくれるはずです。

コンクールも、出して出して、出しまくって、失敗と挫折を重ねてこそ、いいシナリオが描ける底力になると思います。

暑い毎日ですね? 失敗を恐れず、勇気あるシナリオを描いてくださいね。
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by nomelier | 2006-08-12 19:28 | Drama

愛をこめて

b0058500_20433044.jpgいつもお世話になっている中華料理店「蓬莱閣」では、ご主人のジャッキーが料理を作られ、奥さんの紅梅(ホンメイ)ちゃんが給仕をされています。

お店がお休みの日には、紅梅ちゃんが家族の料理を作られることがあるそうです。

それは、お店で出せないような、伊勢海老に鮑に蟹にと、ふんだんに豪華な食材を使われた料理だとか。中国でも海に近いところで育った紅梅ちゃんは、海の幸を思いのたけ使われるそうです。

いつもコストを思案して、リーズナブルな価格でメニューに載せられ、なおかつ美味しい料理を提供しようと頭を悩ませていらっしゃるご主人のジャッキーは、「コストの制限がないから、紅梅ちゃんの料理は美味しくてあたり前」と、ちょっと膨れ顔。

プロのシナリオとアマのシナリオ。
アマチュアがノーコストでいいかと言うと、海外ロケ等がふんだんに書かれていると採用されません。

特に放上映化を条件にしている懸賞では、最終審査近くでふるい落とされます。

それは放上映化にあたっての制作費のコストですが、別の意味での、シナリオを描きあげるにあたってのコストとは?

資料集めにお金をかける。手間隙をかける。それもコストでしょう。
でもお金をかけたからと言って、人間が描けることに直結するはずもありません。

それでは、アマチュアのメリットとは?

それは、プロにできないくらい喰いさがって人間を描こうとする熱意、人物に対する愛情、伝えたい気持ちだと思います。
喰いさがることもせず、表面的に、上手さにばかりとらわれて、いい加減なところで肝心の人間を愛さずに仕あげてしまっていては、経験を積んだプロに負けて当たり前です。

ジャッキーは膨れていたけれど、きっと紅梅ちゃんは、仕事がお休みの日には、美味しい料理を夫や子どもたちと一緒に食べたくて、コストもさることながら、愛をこめていらっしゃるのでしょう。

作品への、人物への、こめるほどの愛があれば、必ず思いは伝わります。
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by nomelier | 2005-12-08 20:44 | Drama

二つのデビュー作品

b0058500_20124968.jpg最近、二つのデビュー作品を鑑賞しました。

チェーホフの長篇戯曲の処女作、「イワーノフ」。主人公は三十代半ばで人生に疲れ果てた、「泣きごとを言う不幸な人間」「余計者」です。

「ねえ、こういうことが僕は言いたいんですよ。うちにセミョーンという作男がいましたが、おぼえてるでしょう。ちょうど、麦打ちのときに、娘たちの前で力自慢をしようとして、ライ麦の袋を二つかついで体をこわしてしまった。まもなく死んでしまいましたがね。どうやら僕も無理をしすぎたような気がする。(略)背中にかついで、背骨が折れたんですよ」

と、主人公・イワーノフは友人に泣きごとを言います。

イワーノフが昔のように愛せなくなった病身の妻は、彼に新しい愛を与えようとする若い娘がいることを知り、意識を失い亡くなってしまいます。そうして、泣きごとを言い続けてきたイワーノフにも、本当のやりきれなさが訪れます。

超人、特別な人たちに視線が向けられてきたドラマや映画は、今、インターネットに人の関心が移り、見棄てられようとしています。特別な人ではなくて、どこにでもいる「余計者」の悩みを、丁寧にリアリティを伴って描くことのたいせつさを感じました。

もうひとつは木下恵介の監督デビュー作品、「花咲く港」。

原作は菊田一夫の戯曲です。太平洋戦争勃発のころ、九州甑島に、今は故人となった島の名士の遺児と称して、二人のペテン師がやってきたことから起こる大騒動の喜劇。

二人のペテン師は、造船事業を再興したいと島民にもちかけ、資金を持ち逃げしようと企むのですが、生まれついての善良さと弱気のため逃げ出せなくて、最後には彼らが島民を幸せにします。

こちらも「余計者」が登場。あたたかい視線の向けられた喜劇です。

アウトサイダーが人を幸せにする。この喜劇の流れは「寅さん」にもつながっていて、普遍的に人の心にぬくもりを与えてくれます。
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by nomelier | 2005-07-28 20:13 | Drama

困ったちゃん

b0058500_2030940.jpgよく親は子に「人さまに迷惑さえかけなければ」と言います。

「迷惑さえかけなければ伸び伸び生きてほしいと思っているのよ」と託します。

託された子どもは、どうも胡散臭いなぁ、簡単に信じない方がいいなぁと、ちょっとひねた子なら親のうわてを決めます。

そして親は子を叱るときに、「だって、迷惑をかけるかも知れないじゃない」と、あたかも叱る自分の心が狭いのではなくて、「迷惑」という切り札のもと、叱らなければならない義務がある、叱っているのは私じゃなくて、「迷惑」に関しての常識なのよと摩り替えるかのごとく。

すると子どもは、やっぱりこう来たなと思います。

チャップリン、ビリー・ワイルダー、ニール・サイモンたちユダヤ人は本当に喜劇がうまい。

なぜだろうとユダヤの教えの本を読んでいると、ユダヤ教専門の教授が、迷惑をかけないようにとばかり考えていると、人間のスケールが小さくなるというユダヤの考えとともに、日本人の「迷惑さえかけなければ」という考えへの疑問を書かれていました。

疑問点は三つ。

一つは、他人に迷惑をかけない人間が実際にいるのかどうか?

二つ目は、自分が他人の迷惑になっていないと思い込んでいる人ほど、実際には他人に平気で迷惑をかけているのではないか? 

三つ目は、他人に迷惑をかけなければという姿勢が、常識という名を借りて他人に境界線を引き、ひいては他人に対する心の冷たさにつながっているのではないか? と三つあげられていました。

 「困ったちゃん」をドラマに登場させようと、東京校の先生が推奨されていました。

この「困ったちゃん」が、いわゆる迷惑をかける人。
迷惑だけれど、愛さずにいられない。

と、そうこなくっちゃドラマでは面白くありません。

この頃は迷惑どころか、ちょっとおかしくて、淋しい。

ロボットはスイッチを入れなければ動かないし、迷惑はかけないけれど… 
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by nomelier | 2005-06-01 20:29 | Drama

冷ややかなリアリティ

b0058500_18295645.jpg一昨年末、近松門左衛門の『傾城反魂香・土佐将監閑居の場』と云う歌舞伎を観たときのこと。

吃音であるが故に絵を巡る争いに破れ、閉居している浪人絵師と、彼を支える妻との夫婦愛のお話です。

妻の一途なやさしさに涙し、そして、感動とは、人として当たり前の情を描いたものなのだと思いました。


その感動がなぜ映えるのかと云うと、冷ややかなリアリティが一方で描かれているからです。

夫婦は精根尽き果て共に自害しようと決意。

最期にと一心込めて描いた自画像が、手水鉢を突き抜ける奇跡を生み、一挙に絵師は芸術家に格上げされます。

それまでは夫婦揃ってボロ衣だったのですが、絵師はひとり豪華な衣装に着替え、歓喜の中、危難の姫君救出へ向かう処で幕を閉じます。

その時、支え続けてくれた依然ボロ衣の女房のおかげと、絵師が露も思わない処が、男と云うものを視つめる、冷やかなリアリティだと思いました。

もうひとつは昨年二月に上演された「放浪記」。

このお芝居は女の生き方を教えてくれます。

男に恋をしては裏切られる主人公。

原作は林芙美子の自叙伝、脚色は菊田一男。

菊田一男の本が素晴らしいです。

承では芙美子の天性の明るさと絶対に凹まない気性を追います。

カフェでどじょう掬いを踊る年増女給の芙美子。
男に媚を売ることが嫌いな彼女の勝気さが伝わります。

しかし、その場面の場面尻には、生活苦から新たな恋に突入。

「放浪記」が出版されることを知り、男女雑居寝の貧しい宿で、大喜びででんぐり返り。
有名な場面です。

明るく進行するのですが、ラスト、有名作家となった芙美子は文机に小説を書かねばと伏したまま亡くなっていきます。

ライバルの女流詩人がそっと毛布を肩にかけてあげて、呟きます。

「幸せではなかったのね」と…。

男から男へ、そして裏切られ、文筆に命を賭けては這いあがり、それでも彼女は幸せではなかったことを観客に伝え、幕はおります。

冷ややかなリアリティと、承での人物像の明るさの表現。

菊田一男は神様だと思いました。
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by nomelier | 2005-01-06 18:29 | Drama

私の好きなコメディリリーフ

b0058500_19464283.jpg作品がシリアス一辺倒になりそうなとき、脇の人物にコメディリリーフを配置すると、バランスが保てると云います。

コメディリリーフ wikipedia

私の好きなコメディリリーフは、曾根崎心中の天満屋の女中さんです。

これからお初と徳兵衛が心中に出発と云うとき、お初は自分が働く遊郭、天満屋が真っ暗な深夜を迎えるのを、今か今かと待っています。

徳兵衛は縁の下に潜んだまま、お初のゴーサインを待っています。

ところがこの三枚目の女中さんは、大きな団扇で天井からぶらさがっている釣行燈の火を消そう消そうとするのですが、なかなか消せません。

店の主に消すように命じられているのですが、彼女は「あ~ぁ、うるさぁ」と思っています。

消えそうになれば、恋のヒロイン、ヒーローは道行き決行モードに入るのですが、頓馬な女中さんはそんな事情は知らず、「あ~ぁ、あたいの仕事はうっとぉしい。こんなこと、はよ済ませて寝よ寝よ」とばかりに、大団扇で釣行燈の火を消すパフォーマンスを寝ぼけながら繰り返します。

やがて火は消え、女中さんが大の字に大あくびで眠ったあと、ヒロインたちは、恋の道まっしぐらに、天神の森へ死への旅路につきます。

私がどうしてこのコメディリリーフが好きなのかと云いますと、笑うに笑えない人間への視線を感じるからです。

笑っているうちに、はたと、「あなたはこの女中さんを笑えますか?」と鋭く突きつけられたことに気づきます。

この世のたくさんの人が、この女中さんのように人生を受けとめていませんか?

生活しか目に入らずに、あ~ぁ、つまらん…それこそ、あなたの現実ではありませんか?

現実と非現実。舞台と客席。その狭間が妙味です。

フランス映画のような恋愛至上主義を、上方流ヒネリで表現した笑いが絶妙です。

大阪と云うと、コテコテやベタベタの文化と連想する人も多いようですが、なんて洒脱な笑いなのでしょう。

私はやっぱり、この町、大阪が好きです。
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by nomelier | 2004-12-09 19:49 | Drama

琴線に触れる

b0058500_19233452.gifお医者さんのコトバに「触れる」と云うコトバがあるそうです。

動脈に触れることなのだそうですが、なにか、「医は仁術」を連想させられる、一種非科学的な職人用語のような、このコトバに惹かれます。

体のどの箇所に「触れる」処があるかと云いますと、手首の内側、足の甲の真ん中あたり、肘の内側、首と顎の間の耳の付け根に近いあたり…。

「触れる」コツとしては、力をこめて押しすぎてはダメなのだそうです。

自分で自分を触れてみますと、ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ…まさしく生きてる実感がします。

シナリオのコトバでは「琴線に触れる」と云うのがありますね。
この場合も力がこもっていては触れられません。

しかし思いあたりませんか? 
渾身の力をこめて触れようとしていませんか? 
ここぞと云う処で長ゼリフでテーマを叫ばせて…。

作者は描きたいことを描き尽くせて気持ちがスカッとするかもしれませんが、これでは全く観客の心には触れられません。

こんなに力いっぱい押したのでは、お医者さんでも患者さんに触れられません。
失敗です。

シナリオライターも同じです。

相手を思いやって、触れてください。すると却ってくるものがあるかも知れません。

ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ…と命の音とともに。
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by nomelier | 2004-11-22 19:24 | Drama