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秋の夜、ビノシュを

b0058500_175937.jpg「女優と聞けば、小さな顔の、ほっそりとした足と腕、折れそうな腰をもつ、儚げな容姿を想像しがちなのが、我々日本人であるようだが、ビノシュはそうしたステレオタイプの女優からは、もともと大きくはずれている」(『忘我のためいき』小池真理子著より)

秋の夜、ジュリエット・ビノシュのビデオを続けて観ました。

日本人にとってのヒロイン像のステレオタイプと、ビノシュ演じるヒロインの違いは?

女流作家、ジュルジュ・サンドと詩人、ミュッセとの、すさまじい恋を描いた映画『年下のひと』。

二人は、互いの個性に於いて対立を繰り返します。

ここで思ったことは、恋愛映画での対立のとらえ方です。

日本と西洋、その差を一概に語ればアバウトすぎますが、えてして日本の恋愛ものの対立の構図は、「二人は愛しあっている。二人の対立は世間であり、周囲であり…」と、他者を悪者にしていることが多く、較べて、この映画から感じたことは、二人が互いに真正面から対立している作りです。

通俗的な例えでは、日本では、夫が浮気をすれば妻は相手の女を責めて、表面では夫を責めません。
妻に経済力があるか否かは関係なく、あくまで男の庇護下であることに拘り続けたい、嘘とつきあう空しさを感じます。

較べて、ビノシュ演じる女は、「この、今、生きている私が私なの」と、しかし、きおい立つこともなく、しっかと土に生命体としての太い根を生やしているかのよう。

遥かいにしえの日本女性は、土に根をもち滋養に育ち、大きな心で男や子どもを愛せたはず。

レンタルビデオ店では、売れ筋のアメリカ映画と韓流の羅列。

仕舞うようにひっそり置かれた古典。日本映画のコーナーの淋しさからは、勢いのないアジア一小国のイメージすらも。女優像も映画そのものも、愛情までも、なぜか小さく感じます。

Juliette Binoche】 ファンのページ
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by nomelier | 2004-11-29 11:00 | Movie

「愛している」というセリフ

b0058500_15472884.jpg21世紀、死語となる日本語はたくさんあるそうです。

久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社)の目次を繰ると、「辛抱・じれったい・冥利に尽きる・できごころ・うすなさけ・邪慳・夢ん中」他が記されています。

「惚れた」の感覚が少なくなり、「愛している」というセリフがドラマで頻繁に使われるようになったことと近いことのようです。

従来の日本語の「愛」という言葉は仏教的な意味から、執着する、貪るといった否定のニュアンスが強かったそうです。


「色」を恋愛ととらえていた男尊女卑思想故かと思えます。

「愛」が、今日のような肯定的な意味に変化したのは、聖書の翻訳が契機であったそうです。

文章としての「愛」に違和感はないものの、セリフとしての「愛」には、空々しさを感じます。

崇高なこの言葉をおいそれと口に出すことにはストイックになり、有り得ないのではないかと思い、結果的には英語を日本語に訳し、そのまま抵抗なしに使っているデリカシーの無さを感じてしまうのです。

若い人は普段「愛している」と言うのでしょうか? 

多分言う人は少ないと思うのですが、一度、伺ってみましょう。

さりとて「惚れたゼ」なんてセリフを現実の生活で言う人も、いよいよ少ないでしょう。

しかしドラマではキャラクターによってOKです。そこがフィクションのむつかしさです。

さすれば「愛している」もOK。

有り得ないセリフだからこそ、陶酔して聞いてみたい、あのスターに言わせたい、それもドラマの効役です。

ただ、もし無神経に一行の「愛している」というセリフを書くのなら、「どのように愛しているのか?」を丁寧にエピソードとして考えて頂きたいとは思うのですが…。
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by nomelier | 2004-11-28 12:29

ピアノのような雲

b0058500_15145147.gif以前、構成が得意な方に描写性もと願われ、恩師のK先生が、

「ピアノのような雲…と云う発想を」

とポエムの一節からヒントを与えられたことを思い出しました。

きっとグランドピアノの形みたいな雲のことでしょう。モーツワルトのエチュードが聴こえてきそうです。

とてもいいことのあった日、恋をした日かもしれません。
見あげた水色の空に、ぷっかりと浮かんでいた雲のことなんでしょう。

脚本家の依田義賢氏は、

「私はシナリオを書いて行き詰まると、心の中のその部屋へ逃げ込むんです。
純情で、子供のような、そんな詩の部屋を持っているつもりなんです。
そこへ逃げ込んで、じっとしてる。そして純な気持ちというんでしょうか。
そういうものにひたって、もういいなと思うと出ていく。
そういう制作態度をずっと続けてきてるんです」
(「スクリーンに夢を託して」・なにわ塾叢書 より)

と語っていらっしゃいます。

人形作家のおばあさまが創作するときの秘訣を語っておられました。

「歌うように作るんですよ」と…。

子守りしている姉やさんの人形。
その人形の揺するように斜めに構えたS字型の腰の線や、薄く閉じられたやさしい目蓋からは、本当に稚児を愛しむ子守唄が聴こえてくるようでした。

いくらコンピューターが進歩しても、詩は人間にしか作れません。

人間にしか描けない心をシナリオに託しましょう。
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by nomelier | 2004-11-27 12:00

明日・・・

b0058500_14593365.jpg「時代によっても『明日』観は違う。
中学生のこんなアンケート結果を見るとその思いが強い。

『あなたの思い描く21世紀像』を尋ねる。

一番多いのが『今よりも便利だが住みにくい世界』の49%で『今よりも便利で住みやすい世界』の30%を大きく上回った(B&G財団調査)。


便利になることが住みやすくなること、かつてそんな信仰があった。
しかし、いまの若い世代には、もはや便利さへのあこがれはない。

『明日』はそれほど明るくはない。」

※朝日新聞「天声人語」より抜粋。

船旅にでました。

船中レストランで給仕するフィリピン青年と、私語を交わせるようになったのですが、彼の、
「ぼくは一生、船の給仕です。ぼくには希望、ありません」のコトバに、胸がつまりました。

明日・・・

希望がないと嘆きながらサービス精神を尽くして懸命に働くアジアの青年。

明日…

その気になれば希望もあるのに、住みにくい未来と愁うる日本の中学生。

乳がんで亡くなった友人の思い出。

闘病の際、彼女の使っていた団扇には、
「その気になれば
 明日からだって
 違う自分を
 生きられる」

と手書きされていました。
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by nomelier | 2004-11-26 12:00

大阪風男と女の愛し方・・・

b0058500_1450786.jpg大阪風男と女の愛し方・・・
とはどんなことでしょう?

「夫婦善哉」に象徴されるような、しっかりモンの女と頼りない男のペア。

近松作品にみられるような色香に惑う男と、社会的には薄幸であるが心の汚れていない女とのペア。

そして21世紀、どんな男と女の物語が大阪から生まれるのでしょう?

恋愛感情のなかに人情が大きなシェアを占めるのが、大阪風男と女の愛し方の特徴ではないでしょうか。

相手が落ち込んでいるときにこそ相手にしかと寄り添う…。
親の人情を子が見て育っているからかもしれません。

江戸ッ子には、大阪風の人情が同情と取り違えられて、東西間の人間感情の誤差が生じることもあるようです。

得てして気風がよくて粋を尊ぶ江戸ッ子は、同情されては自分らしくリアクションができないから拒むのでしょうか。

東京大阪間に限らずこの誤差は、悲しい人間関係の結果を生んでしまいがちです。

「可哀想ったぁ惚れたってことよ」と云うコトバもあり、同情もさほど低い感情ではないと思うのですが、日ごろ触れるシナリオから推察して非常に乱暴に区分けすると、一番古いのは人情、受ける側があまり喜ばしくないのは同情、新しい都会的感覚は共感性へと、人への感情移入の糸口は移り変わっていると思えます。

人がこぞって新しいと思いそうな都会風に流されては、それはもうその時点で新しいことではありません。

また古いことばかりいくら巧く飾りたてて並べても、それはオタクにすぎず、後世へのメッセージ性に欠けます。

わたしたちは大阪に住んでいます。大阪に住むあなたはどの糸口から愛し方を描きますか?

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大阪の人情映画
 http://www.ebisubashi.or.jp/eiga/02.html

大阪人情喜劇の会
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~ueda/
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by nomelier | 2004-11-25 14:52 | Diary

琴線に触れる

b0058500_19233452.gifお医者さんのコトバに「触れる」と云うコトバがあるそうです。

動脈に触れることなのだそうですが、なにか、「医は仁術」を連想させられる、一種非科学的な職人用語のような、このコトバに惹かれます。

体のどの箇所に「触れる」処があるかと云いますと、手首の内側、足の甲の真ん中あたり、肘の内側、首と顎の間の耳の付け根に近いあたり…。

「触れる」コツとしては、力をこめて押しすぎてはダメなのだそうです。

自分で自分を触れてみますと、ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ…まさしく生きてる実感がします。

シナリオのコトバでは「琴線に触れる」と云うのがありますね。
この場合も力がこもっていては触れられません。

しかし思いあたりませんか? 
渾身の力をこめて触れようとしていませんか? 
ここぞと云う処で長ゼリフでテーマを叫ばせて…。

作者は描きたいことを描き尽くせて気持ちがスカッとするかもしれませんが、これでは全く観客の心には触れられません。

こんなに力いっぱい押したのでは、お医者さんでも患者さんに触れられません。
失敗です。

シナリオライターも同じです。

相手を思いやって、触れてください。すると却ってくるものがあるかも知れません。

ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ…と命の音とともに。
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by nomelier | 2004-11-22 19:24 | Drama

捨てたもんじゃない・・・ Part2

b0058500_1918790.jpg捨てたもんじゃない・・・と思ったもうひとつのお話です。

仕事からの帰途、駅近くの踏み切りでのこと。

この周辺は夜になると風俗店の呼び込みのお兄さんがいっぱいいます。

その夜、遮断機が降りかけたときに、お酒のはいった千鳥足のオバサンが、無理矢理、踏み切りを渡ろうとしました。

ところが遮断機が降りてしまったのです。

千鳥足のオバサンは動揺も手伝ってか、線路の上に転がってしまいました。
おまけに財布から線路にばらまかれた小銭をオバサンは、転がったまま拾っているではありませんか。

「あっあー、危ない」と思いながらも、私はその瞬時立ち尽くすだけの人でした。

ところがその瞬時の間に、ひとりの茶髪の呼び込みのお兄さんが遮断機を力いっぱい押しあげ、オバサンを救いだしたのでした。

救われ、立ちあがり、ヨロヨロと階段をあがり、京都行きの切符売場へと向かうオバサンは、お兄さんに「ありがとう」とも言わず終始無言だったのです。

バツの悪そうな後ろ姿でした。

哀しくて嬉しい夜のひとコマでした。

それから数日後、駅周辺では警察が呼び込みの人たちを、順に検挙していました。なんらかの決まりでしょっぴかれたりする若者たちのなかにも、瞬時に人を助ける本能のある人がいるのです。

あの夜のお兄さん、わたしはしっかりあなたを見ていた者です
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by nomelier | 2004-11-22 19:18 | Diary

ダンスを見て・・・

b0058500_1951124.gifある夏の一夜、BSのソシアルダンス選手権を見ました。

馴染みのないわたしは、「シャル・ウィ・ダンス」の竹中直人を思い出しては、吹きだしたりしていました。

ところがところがです。
段々とこれはすごいと思うようになったのです。

ラテン部門での決勝戦。タンゴ・チャチャチャ・サンバ・ルンバ・ジャイブ。

なにがすごいと思ったかと云いますと、圧倒的な点数で一位 に輝いたアメリカ人のペアのハーモニー感覚の斬新さです。

男性は体の線を露出させた衣裳の他選手のなか、敢えて抑えたグレーのタキシード。女性はアシメトリーカットのシンプルな白のドレス。

健康的な肢体美はもちろん視覚に迫りますが、今の時代の健康的な男女の在り方が思想として振り付けから伝わってくるのです。

例えば、離れて並んでステップ。

どちらかに見せ場があると続いて片方も見せ場を。
互いの見せ場を受け止める翳りのない笑み。

平等感と男女のハーモニーの現代性を感じました。

失礼になるかも知れませんが、日本人選手のペアからは、女は甘えて庇護される者…と云ったものしか、わたしには感じとれませんでした。

聞くところによると、このアメリカ人の男性は、ソシアルダンスの最高峰にいながら、一方でジャズダンスを熱心に研究しているそうです。

思想と云うのは高邁さから発するのでなく、反対に謙虚な努力から発するものだと痛感しました。

シナリオ以外の多方面 のことに謙虚な姿勢で興味を抱いてみませんか?
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by nomelier | 2004-11-17 19:51 | Diary

捨てたもんじゃない・・・

b0058500_195241.jpg捨てたもんじゃない・・・

と思った最近のできごとです。

お昼前の電車のなかでのこと。
きつい日ざしが射す席しかあいておらず、わたしはそこへ座ることにしました。

ブラインドをあげようとしたのですが固くてなかなかあがりません。隣の席では、中学1年生くらいの女の子が、ペチャペチャキャッキャと携帯電話でお話をしていました。

しかしブラインドに苦戦しているわたしに、立ちあがり、手を貸してくれたのです。
携帯片手にもう片方の手で。
結局ブラインドはあがらず仕舞いでしたが、わたしは女の子に「ありがとう。もういいわよ」と云いました。

電話相手の友達が「何してるの?」ときいたのでしょう。
「ウ~ン、窓があがらへんねん」と答え、「まあ、ええわ」と依然お話を続けていました。

よく若い人のマナーが問われます。
でも、マナーは案の定でも、困ってるひとにはすぐに手を貸すことのできる若いひとだって「るのです。

ステレオ・タイプのキャラクター打破は、案外このような「捨てたもんじゃない…」と思えることからの、ささやかな喜びに端を発しているのかもしれません。

そんなことを思い巡らしながら、電車を降りてスタスタ歩いてゆく小さなスーパーウーマンの後ろ姿に、もう一度「ありがとう」と呟きました。
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by nomelier | 2004-11-17 19:07 | Diary

癒しの流行

b0058500_23121336.jpgアロマオイル、お香、α波サウンドCD、ハーブティ等、癒しグッズが流行っています。

わたしはなんにでもすぐハマるたちですので、積極的にハマッテ楽しんでいます。

こんなわたしが云うのも矛盾していますが、癒しの流行に「ちょっと待って」とシグナルを送りたい気持ちがあります。

このごろシナリオに感じるのですが、主人公が鋭角的でありません。
さぁ、右か左か前か後ろか、どっち? 生きるか死ぬ か?
選択を迫られる崖っ淵にまで追いやられていないのです。

抗菌グッズや癒しグッズ、サプリメントによる栄養補給でスポイルドされた現代人の弱さを危惧します。

心のなかに部屋があるとします。その部屋の、手を伸ばして届くか届かないかのあたりの上の方に棚があるとします。その棚にいちばん痛みを感じることを、しまいこんで生活している風潮はないでしょうか? 

それを処世術だと云う意見もあるでしょう。
また生きてゆくためには当たり前だとも。

もちろん、世の中には真に癒しを求める人も多くいらっしゃるとは思います。

でもわたしたちにとっては、癒しの流行に「ちょっと待って」とシグナルを送りたいのです。

人間を描くことがシナリオなのですから…。
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by nomelier | 2004-11-16 23:12 | Diary