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師走病

b0058500_1915122.jpg毎年、年の暮れに近づくと、表面は意気揚々、内面は涙のダムになります。

妙な私の習癖。

昨年も内輪の発表会でその年がんばった人のスピーチを、パーテーションの裏側から聞きました。

すぐ傍にがんばった人の顔が見え、それは光り輝いているようで、二次会も終わったあとには、じわじわと師走病が私の内面に繁殖し、「一体なにをして生きているのだろう? 作り笑顔に紅をさし…」と、歌の文句じゃないけれど、自己嫌悪がピークに達した頃には、無くした部屋の鍵を探しながら深夜の繁華街をひとり酔っ払って徘徊する、明らかに人から見ると危ないおばさんになっていました。

がんばった人のひとり、Aさんの作品がK賞に佳作入選作しました。

選者曰く、う~んと唸るほどの作品とのことですが、作者だけが描かざるを得なかった、作者だけの人生観に、本当に唸りました。

Aさんは現在53歳。
受賞作は、お母さんをモデルにして描かれた作品です。

古いしきたりの残る京都の町で、家の事情から妾をして、夫の結核治療費や、息子の養育費を捻出された、不条理でありながらも、愛を貫かれた女性の生き方が、思春期の息子の視線を通して描かれています。

息子も同居する家で、堂々と行なわれる旦那との睦み事。

旦那に心は奪われることなく、父だけを愛していると息子を真正面から説く母。

そこからは、強いこと、弱いことの意味を突きつける、世の通念をでんぐりがえしたい、作者だけの人生への痛いような賛歌が伝わりました。

Aさんに「女性観が古い」と云った私。

ご自身の原点を探り、古い新しいの意味、強い弱いの意味を表現された姿勢が、結果として受賞作を生む一要因になったと伺い、五月蝿いおばさんと思っていただいた成果もちょっとはあったかも…とささやかな喜びを感じています。

凹むことが前進につながります。
大いに凹んで進みましょう。

この街に再び年の瀬が迫り、そしてようやく新春を迎える町景色へと。
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by nomelier | 2004-12-15 19:01 | Diary

悪い男

b0058500_18412815.jpg秋の夜長、小池真理子さんの「レモン・インセスト」を読みました。

近親相姦のお話です。さまざまな男が出てきます。

ヒロインは喫茶店のアルバイト。と云っても、店のオーナーの愛人。

相当額のお手当てをもらって、ぶらぶらアンニュイな愛人生活を送っています。

もともとその関係は、ヒロインにとって恋ではなかったのですが。

そんなとき、弟と再会します。

生まれてすぐに誘拐された弟が、美しい青年になって目の前に現れたのです。

喫茶店のオーナーは、露骨に体だけを求めるような、悪い男ではないけれど、嫌な男になってゆき、弟との禁断のプラトニックラブに堕ちていくヒロインから、ぼろぼろの状態で捨てられます。

オーナーが嫌な男になってゆくプロセスでのヒロインの心の流れが、女性に共感を得ると思いました。

又、勧善懲悪の悪人ではない、嫌な男を視つめるヒロインの視線が伝わります。

どの程度のところから始まった嫌さ加減なら、とことん嫌な男になりはてるのか…その移り具合にリアリティも感じました。

一方、弟は一貫して理想の美青年として表現されています。

決して結ばれてはいけない、愛する相手だからこそ、人間を超越した理想に成りえます。

そして、弟との恋は、苦しまされる男になることを拒むかのように、突然のエンディングで物語は終わります。

この小説が映画化されたなら、嫌な男のオーナーを演じる役者の方が演じ甲斐がありますね。

美しい弟は、いまどきの美をあてがうと、それで用を足しそうです。

だからこそシナリオライターは嫌な男を描けなければいけません。

苦悩と恋が紙一重のような、嫌な男、悪い男を、脇役でなく描けたなら、と思います。

森雅之が演じた、「浮雲」の男。

悪くて、嫌な男で、それでも愛さずには生きていけない男としては、わたしにとっては最高峰です。

愛が描かれている作品に切に出会いたいと思う、そんな秋ももうすぐ終わりを告げます。
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by nomelier | 2004-12-15 18:41 | Book

ドラマティック・ソング

b0058500_1823666.gifドラマティック・ソングとして思いうかぶのは「喝采」でしょうか?

恋人の死を知り喝采を浴びている彼女のこれからの人生は?

哀しみを乗りこえ、素晴らしい歌い手として人に愛を伝えてゆくのでしょうか?

孤独とともに…

クミコのシャンソン、「わが麗しき恋物語」より。

クミコ】公式サイト

町でも噂のちょっとした不良で、わりかし美人の部類だったから、ちやほやされていた19歳のあたし。

こちこちになって、ふるえさえして好きといってくれたあなた…人生って奇妙で素敵って、少しだけ泣いた。

五年が経ち、あなたの浮気が七回目。

あたしの浮気は三回目。

視線もそらし会話も減って人生ってそんなもの、でも退屈と思い… 半年後、あなたのくちびるから、聞いたこともない病気の名前。

いなくなるの、あなた。白い煙が昇った日、空はどこまでも晴れて、あたしは自分でも疑うくらい、大声で泣いた。人生ってなんて愚かなものなの、みんなあとで気づく…

ドラマティック・ソングの「ドラマ」とは?

ふたつの歌の共通点は、物語性、死と人生観。

では、シナリオでは、死を出せばドラマティックかと云うと、そうではなくて、失うことへの洞察力だと思います。

なぜ失ったのか?

そして失うまでもなく、自分と、自分の愛する人が、この世に今、在ることをなぜ視つめられないのか?

この、「なぜ」を探すことがドラマの発想源だと思います。

愛する人への想いを断ち切った。

でも、どうしても、ふたたび彼女の元へ駆けずにはいられない…と云う流れは恋愛映画の醍醐味です。

映画「ひまわり」で、男が一旦、別れを決意した女をふたたび訪れるシーン…。

今はもう昔に戻れないことを二人は識ります。

そして、市井の男女の愛が崩壊したことを通して、反戦のテーマが、胸に刻みこまれます。

この胸に刻みこまれる深さの度合いが、「なぜ」への洞察ではないでしょうか?
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by nomelier | 2004-12-15 18:22 | Diary

私の好きなコメディリリーフ

b0058500_19464283.jpg作品がシリアス一辺倒になりそうなとき、脇の人物にコメディリリーフを配置すると、バランスが保てると云います。

コメディリリーフ wikipedia

私の好きなコメディリリーフは、曾根崎心中の天満屋の女中さんです。

これからお初と徳兵衛が心中に出発と云うとき、お初は自分が働く遊郭、天満屋が真っ暗な深夜を迎えるのを、今か今かと待っています。

徳兵衛は縁の下に潜んだまま、お初のゴーサインを待っています。

ところがこの三枚目の女中さんは、大きな団扇で天井からぶらさがっている釣行燈の火を消そう消そうとするのですが、なかなか消せません。

店の主に消すように命じられているのですが、彼女は「あ~ぁ、うるさぁ」と思っています。

消えそうになれば、恋のヒロイン、ヒーローは道行き決行モードに入るのですが、頓馬な女中さんはそんな事情は知らず、「あ~ぁ、あたいの仕事はうっとぉしい。こんなこと、はよ済ませて寝よ寝よ」とばかりに、大団扇で釣行燈の火を消すパフォーマンスを寝ぼけながら繰り返します。

やがて火は消え、女中さんが大の字に大あくびで眠ったあと、ヒロインたちは、恋の道まっしぐらに、天神の森へ死への旅路につきます。

私がどうしてこのコメディリリーフが好きなのかと云いますと、笑うに笑えない人間への視線を感じるからです。

笑っているうちに、はたと、「あなたはこの女中さんを笑えますか?」と鋭く突きつけられたことに気づきます。

この世のたくさんの人が、この女中さんのように人生を受けとめていませんか?

生活しか目に入らずに、あ~ぁ、つまらん…それこそ、あなたの現実ではありませんか?

現実と非現実。舞台と客席。その狭間が妙味です。

フランス映画のような恋愛至上主義を、上方流ヒネリで表現した笑いが絶妙です。

大阪と云うと、コテコテやベタベタの文化と連想する人も多いようですが、なんて洒脱な笑いなのでしょう。

私はやっぱり、この町、大阪が好きです。
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by nomelier | 2004-12-09 19:49 | Drama

逢うは別れの…

b0058500_19312344.jpg八年通った好み焼き屋さんが店じまいをしました。

お店にはマスターと従業員の男の人がいるのですが、二人ともが私にとっては、「お母さん」でした。

栄養のバランスのことで小ごとを云われたり、注文しなくてもお野菜を用意してくださったり、本当にありがたいお母さんたちでした。

今夜で最後だと云う日、数名の顧客と元従業員の方も交え、計十人ほどでお別れ会をしました。

逢うは別れの…と云いますが、淋しさを互いに気遣い、お別れ会がドンチャン騒ぎになるのは常のようです。

案の定、ドンチャン騒ぎをしましたが、ほんの十名の、その店を愛した、名前も知らない、仕事の世界もバラバラの人たちの集いが、今の時代には、大変貴重なことのように感じられました。

時代遅れのお店だったのですが、そんなことは気にならず、お店の人の気配りが好きだったこと、それが集った人たちの共通点です。

終了後、夜中の三時駅の踏み切りの前で、お店の人、お客さんが、互いに「今までありがとう」と云いあい、みんなでワァワァ泣きました。

店なんて大きくして成功するだけが能じゃないさ、商売するならこうありたいもの…と思えるような、食べ物屋さん冥利に尽きるお別れ会でした。

無くすもの、得るものは日々代謝されます。

得た喜びもさることながら、無くしたものの価値を感じられる時間を大切にできればいいなぁと思います。

無くしたものが九九九あって、結果として得るものは一つきり。

そうすると無くしたものこそ財産。

得たものだけを誇る人がいます。

確かに無くしたものは、後悔を伴い、時に泪を誘い、振り返りたくなくなるものです。

でも、それこそがその人の履歴と云えます。 
          
成果の実らなかった原稿はどれくらいありますか? それらが明日を生むと信じて…
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by nomelier | 2004-12-09 19:32 | Diary

コンプレックスが好き

b0058500_1639305.jpgコンプレックスを克服しようとしたり、バネにしたりする人はステキだけれど、なかなかそうは組みし難いのがコンプレックスです。

こんな考え方は?

コンプレックスをも含めたあなたのイメージの全てを愛してくれる人が、この世にいる…。

きっといますし、現にいるのです。


コンプレックス、イコール、いやなこと…その概念をまずはずしてみては?

例えば、孤独を不幸なことと決めてかかったお話によくに出くわします。

はたしてそうなのでしょうか?

安易に語彙で一括りしてしまって、表面ではない処まで探りあてていないのではないでしょうか?

私の孤独と一緒にしばしばよく眠ったものだから私は私の孤独をほとんど友達みたいにしてしまった/
彼女は影のように忠実に私から一歩も離れようとしない/
あちこち世界のすみずみまで私につきまとった/
いや私は決してひとりぽっちじゃない/
私の孤独と一緒だから

ムスタキの「マ・ソリチュード(私の孤独)」です。

「岸辺のアルバム」のテーマソングになったころ、レコードを買ってきて、シャンソンの詩っていいなぁなんて、ウットリ聴き入りました。

フランス人はお喋り好きで、カフェでは連日、ああでもない、こうでもないと、庶民の兄ちゃんやアル中のおっちゃんたちが、一杯のエスプレッソに哲学を交わすそうです。

コンプレックスの垣間見える男性に惹かれる女性の方が、「できる男」に惹かれる女性より多いはずです。

そうなんだけれど、男と女、すれ違い、傷つき悩み、歩み寄ることで傷がさらに抉られ、そのあげく本当は愛情とはもっと大きなものなのだと云うことを感じさせてくれる

…そんな映画を、小雨ささやく六月の夜に、ワインを友に観れたなら…

Georges Moustaki】 公式サイト
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by nomelier | 2004-12-02 16:46 | Music

リアリティのある女

b0058500_16284014.jpg好きになる必然性が練られていないラブストーリーを読んだ時、「きっとこの女の人は美人なんだろうなぁ」と思ってしまいます。

でも、それでは説得力として弱いですね。

先日、シナリオとは無関係の女友達に、「リアリティのある女がいい」などと口走ると、彼女はあらためて、「リアリティのある女っていい言葉ねぇ」と云いました。



そう云われると、私もあらためていい言葉だなぁと思いました。

で、リアリティのある女って、どんな女なんでしょう?

心の中が綺麗なだけじゃない女。

人を傷つけたこともあって、ストレスも一杯かかえていて、格好良く見られたい見栄っ張りで、人に嘘はついても自分に嘘はつけないエゴイストで、人に嫌われると気になるくせにシニカルにポーズするのが癖で、そんなこんなでストレスがたまると、発散にはショッピング、美味しいものも大好きで、ワインなんて目がなくて…どうやら誰かさんのことを並べたみたい。

でも、よく考えると、リアリティのある女とは欲望のある女?
一理はありそう。

欲望を女が持つことは、どうやら日本では昔から良くないと考えられていたようです。

動物の欲望に雄も雌もありません。

人間の女だけが欲望を抱いてはヒロインらしくないなんて、変です。

でも、むつかしいのは、欲望もあって魅力もある女。男でも女でも欲望が服も着ないで往来を歩いていたら、それこそ大変。魅力のない世界観です。

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』に「西洋には『聖なる淫婦』『みだらな貞婦』というタイプがあるけれど、日本にはこれがありえない」とありますが、女が欲望を抱くことをふしだらと見る時代は終わりました。

それでも古い考えはいまだ蔓延っています。

可愛くてヒューマンな「生きている女」の欲望が観たいです!
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by nomelier | 2004-12-02 16:29 | Diary

盛り下がり

b0058500_16154620.jpg「盛り上がりに欠けている」とは職場でよく出る意見です。

「盛り上がってますねぇ」とは宴会に遅れてやってきた人のセリフ。

「盛り上がってますかぁ!?」となると、「最高ですかぁ!?」みたいですね。

この「盛り上がり」に反して、盛り下がりの時間を摂ってみました。


一人で六甲ライナーに乗って六甲アイランドへ。
視界に広がる海と山。盛り下がりにふさわしくない秋晴れの日でした。

客気のない家具屋や骨董品店を散策。ジャズバーでビールだけを頼みました。

盛り上がりの日なら食べたくないメニューを注文するのですが、盛り下がりデーには本当に自分の欲しているものをじっくり考えます。

帰途、住吉から御影まで散歩。
「世の中にはこんなお金持ちもいるんだなぁ」とゴージャスなガーデニングに又しても盛り下がりつつ、心中はすっかり過去と現在とアイデンティティーを反芻、瞑想した、有意義な一日でした。

山田太一さんが公演録の中で、「どうも最近この国では、仲間をたくさん持っていることが素晴らしいことだととる風潮がある。けれど、孤独と向き合うことは大切。必ず何かが見えてくる」とおっしゃっていました。

退職されて人間的な厚みを増された方がいらっしゃいます。きっと何かを視つめられたのでしょう。

多忙極まる現役時代が可能性を含めた涼やかで鋭利なカットグラスの煌きなら、退職後は、その奥深くに息吹く結晶群がその人の体温を伴い放つ鉱石の輝きです。 

勿論シナリオではクライマックスへの計算は大事です。
ただそれを表面的に描いていると、人の心には届きません。

日頃からほんのひと時でも、視つめ、咀嚼する時間を摂るか否かが分岐点だと思います。

そしてじっくりと、作者と観客と時代が何を本当に欲しているのかを吟味してみてください。
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by nomelier | 2004-12-02 16:16 | Diary