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二つのデビュー作品

b0058500_20124968.jpg最近、二つのデビュー作品を鑑賞しました。

チェーホフの長篇戯曲の処女作、「イワーノフ」。主人公は三十代半ばで人生に疲れ果てた、「泣きごとを言う不幸な人間」「余計者」です。

「ねえ、こういうことが僕は言いたいんですよ。うちにセミョーンという作男がいましたが、おぼえてるでしょう。ちょうど、麦打ちのときに、娘たちの前で力自慢をしようとして、ライ麦の袋を二つかついで体をこわしてしまった。まもなく死んでしまいましたがね。どうやら僕も無理をしすぎたような気がする。(略)背中にかついで、背骨が折れたんですよ」

と、主人公・イワーノフは友人に泣きごとを言います。

イワーノフが昔のように愛せなくなった病身の妻は、彼に新しい愛を与えようとする若い娘がいることを知り、意識を失い亡くなってしまいます。そうして、泣きごとを言い続けてきたイワーノフにも、本当のやりきれなさが訪れます。

超人、特別な人たちに視線が向けられてきたドラマや映画は、今、インターネットに人の関心が移り、見棄てられようとしています。特別な人ではなくて、どこにでもいる「余計者」の悩みを、丁寧にリアリティを伴って描くことのたいせつさを感じました。

もうひとつは木下恵介の監督デビュー作品、「花咲く港」。

原作は菊田一夫の戯曲です。太平洋戦争勃発のころ、九州甑島に、今は故人となった島の名士の遺児と称して、二人のペテン師がやってきたことから起こる大騒動の喜劇。

二人のペテン師は、造船事業を再興したいと島民にもちかけ、資金を持ち逃げしようと企むのですが、生まれついての善良さと弱気のため逃げ出せなくて、最後には彼らが島民を幸せにします。

こちらも「余計者」が登場。あたたかい視線の向けられた喜劇です。

アウトサイダーが人を幸せにする。この喜劇の流れは「寅さん」にもつながっていて、普遍的に人の心にぬくもりを与えてくれます。
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by nomelier | 2005-07-28 20:13 | Drama

手紙

b0058500_18571196.jpg「戯曲は失敗して惨澹たるものとなった。劇場内には重苦しい緊張した軽蔑と当惑の色がみなぎった。俳優たちは途方もない愚を演じた。この教訓は、わたしは戯曲など書いてはならないということである」

「かもめ」が初演され、もののみごとに失敗したあとで、チェーホフが知人たちに宛てて書いた手紙です。

あのチェーホフがこのように失意の手紙を書いたことには、教えられることがたくさんあります。

やがて彼は、才能を予知した劇場の文芸担当者や、よき友人のアドバイスや、ポジションの違いから意見を戦わせる演出家を得て、確固たる戯曲作家になりました。

面白いのは、そうこうするうちに徐々に認められていき、チェーホフは、安心し、満更でもなくなっていくのですが、それでも、演出家に失望の気持ちを抱いていることです。

「あなたはすばらしく演じていられます。しかし、ただ、私の書いた人物ではないのです」とチェーホフ。

「どこが問題なんですか」と演出家。

「彼は格子柄の幅の広いズボンをはき、穴のあいた短靴をはいているんです」それ以上、演出家はチェーホフからなにも聞きだせませんでした。

大作家でさえこれほどの不安と不満を抱いていたことは、作り手として参考になります。

ふと思えば、書きあがった作品だけで向きあうわたしたち。孤島で喘ぐ姿は見えません。

マラソンランナーのことをよく考えます。

マラソンランナーをイメージするとき、わたしには勝利のゴールを切ったランナーの姿は浮かびません。ただ、走っている姿が、わたしにとってのマラソンランナーの姿です。

孤島で喘ぎ、喘ぐだけでなく、喜びを感じる、原稿の書きあがった喜び。さて、まだ、走ります。

永いあいだ一緒に学んだOさんが東京へ旅立たれます。
遠い東京へ行かれても、よき友人たちがここにいることを忘れないでいてくださいね。
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by nomelier | 2005-07-07 18:59 | Diary